12月初旬に所用で北鎌倉へ寄りました。
横須賀線から見える色とりどりの紅葉に胸をときめかせつつ、早足で用事を済ませて円覚寺へ。赤、黄、橙色の葉が織りなす木々の紅葉を観ることができました。
拝観料(500円)を支払い境内へ。足下の落ち葉も色とりどりで、もみじの形はとてもかわいいグラフィックとなって境内を彩る絨毯になっていました。
円覚寺は鎌倉時代の弘安5年(1282年)に、鎌倉幕府8代執権・北条時宗が創建し、鎌倉時代を通じて北条氏に保護されました。小学校の歴史の授業にも出てくる「元寇」で戦死した日本の武士と元軍(モンゴル・高麗等)の兵士が、分け隔てなく供養されています。(出典:円覚寺公式ホームページ)
円覚寺の境内は、鎌倉独特の谷戸(やと)と呼ばれる丘陵地が浸食されてできた谷に沿って建てられているため、三門(山門)脇から上り坂が続き、その道々に仏殿、方丈などが配置されています。MAPを手に一つ一つめぐっていくのが楽しいです。
※方丈:本来は住職が居住する建物。現在は法要、坐禅会などにも使われています。
坂を上り、国宝建造物「舎利殿」へ向かう途中の「妙香池(みょうこうち)」は風情があり、人気のポイントです。
さらに直進すると北条時宗の廟所「佛日庵(ぶつにちあん)」があります。こちらは川端康成の小説『千羽鶴』に登場する茶室のモデルになっています。美しい木々のお庭でお茶がいただけます。
坂を登り切ったところにある、小さな石像が点在している社や、法話を聞きに白鹿が現れたという伝説に登場する洞窟「白鹿洞(びゃくろくどう)」など、もっとゆっくり観たかったのですが、あいにく時間がなく、今日立ち寄りたかった国宝の「洪鐘(おおがね)」へ続く急な階段に向かいました。急いで上ったため、腿がつりそうになりましたが無事到着。
「洪鐘」は、北条時宗の子である貞時が正安3年(1301)、国家安泰を祈願して寄進したものです。見晴らしの良い小高い場所に弁天堂とともにあり、その鐘の大きさと彫りに驚きます。このような鋳造がなぜ当時にできるのかと、古い時代のものにはいつも驚かされます。
除夜の鐘で鎌倉の方は鐘の音が聞こえるのでしょうか。国家安泰を願う音、私も聴きたいです。
※境内内の建造物や仏像などはあまり撮影しないようにしております。写真はお寺の公式ホームページにてご覧下さい。
円覚寺を出て線路を渡り、少し鎌倉方向へ歩いた「北鎌倉 明月川」へ。今日の目的の一つでもあったお昼ご飯は鰻です。実はふるさと納税でいただいた「明月川」さんでのお食事。静かな和室でゆったりと美味しい鰻を食べて、ひとときの幸せにひたりました。
鰻屋さんを出てから、同じ道沿いの東慶寺へ。
東慶寺は弘安8年(1285)、9代執権北条貞時により開創されました。女性からは離婚ができなかった時代に、女人救済の寺として明治に至るまでの600年間、縁切りの寺法を引き継ぎ、”縁切り寺”とよばれていました。(出典:東慶寺公式ホームページ)
東慶寺のお庭はこじんまりとした中に、四季おりおりの花と木が自然のままの姿で在り、北鎌倉に来たら必ず寄る大好きなお寺です。
12月のこの時期、境内の木々が、「あれ?装飾されている?」と勘違いしてしまいそうな、薄い水色や銀色に輝く枝ぶりでした。これは「ウメノキゴケ」が幹や枝についているからなのですが、銀色の粉を吹きかけたように見え、美しい風情ある景観となります。
東慶寺境内は撮影禁止のため、入り口前の石段のもみじ。
かつて”縁切り寺”とよばれた、格式の高い尼寺でした。
東慶寺の売店で、葉山の作家さんによる「草暦」カレンダーを購入。来年の干支である馬の絵が素敵でした。
また、職人さんの手作りという干支土鈴もとてもかわいくて衝動買い。金珠を抱いた縁起の良いお馬さんが5色あり、それぞれの色のもつ意味も教えていただき、白を購入。
2026年の午年は「丙午(ひのえうま)」。60年前の昭和時代の丙午の年は、”丙午生まれの女性は強くて男をくってしまう”という昔の言い伝えから、その年の出生率が低かったことは有名ですが、令和の現代ではもうそんな話はあまり耳にしませんね。
2026年がみなさまにとって、ご健康で平和な年でありますように。














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